今日は連休2日目です。
買い物は昨日大体済ませたから、今日は車は乗らない予定です。歩いて広告の品のカレールウだけ買いに行きます。家事は終わりがないけれど、動いているし結果が見えるから充実した気持ちになるんですよね。している時だけは。しかし、後から思い出すと「せっかくの休みが家事で終わってしまったな」ともったいない気持ちになります。結果は見えるけど、何も残らないから嫌なのです。作り置きしたお弁当のおかずだって食べればなくなります。洗濯したって翌日にはカゴがいっぱいになっているし、掃除しても翌日には髪の毛は落ちてるしホコリも積もり始めます。そうすると、家事に費やした私の時間はなかったことになってしまった気がするのです。
そんなことないのは理解しています。私が料理をするから子どもは栄養バランスのとれたごはんを食べて健康です。私が掃除をするからゴミ屋敷ではない、それなりにキレイな家で過ごせます。私が洗濯をするから清潔な下着や洋服が身につけられます。でも、それをするのが私である必要はあるの?って思ってしまうんです。だけど仮に我が家がめちゃくちゃお金持ちになって、すべての家事をお手伝いさんがしてくれることになったら・・・私はこの家に必要か?家にいて何するの?と疑問に思ってしまいます。何もしないのは落ち着かない・・根っからの貧乏性なのに怠け者だから、今の生活が嫌になるんでしょうね。ただ家にいるだけで価値のあるママになれたら、人生楽しめるんでしょう。私は子どもの勉強の進み具合にだけ口を出す、ますますうざがられるママになりそうです。でも、お手伝いさんがいるくらいお金持ちなら、学費の心配だっていらないんだから、何も言わなくなるかもしれません。お金があれば時間にも心にもゆとりができると思います。やっぱり、お金って大切ですよね。
もし時間ができたら、もっとたくさん本が読みたいなって思います。今は読んでいても、やらなきゃいけないことに追いかけられていて途切れ途切れなんです。高校生の時、学校の図書室で「風と共に去りぬ」を初めて読みました。続きの話の「スカーレット」も含めたら文庫本10冊分くらいの長い物語でしたが、面白くて一気に読んだ覚えがあります。たぶん食事とお風呂と学校以外ずっと読んでいました。国も時代も文化も全然違うお話に、なぜあんなにのめりこめたんでしょう。主人公との共通点もないので自分に置き換えることはできないけど、あの強さへの憧れがあったのかなと思います。死ぬ前にもう一度、読み直したいです。今の私が読んだらどんな感想を持つのでしょう。精神的に大して成長していないので、変わらない気もします。
もし今すべての仕事や家事育児から解放されたとして、高校生の頃の集中力で本の世界に入り込めるのでしょうか。結婚して子供を産んで、マルチタスクをこなす立場になってから、好きなことにすら集中力がなくなった気がしています。時間があったって、あんなふうにのめり込むことは難しいでしょう。今日が一番若い日なんて言ったって、やはり本当に若い時でないとできないことはあると思うのです。
今日の良かったこと
夕飯食べてから自転車でセリアに行ったら、うさぎがありました!日中、家事は最低限にしてお勉強したご褒美かもしれません!でもパジャマ姿がなかったです。なかなか全部は揃いませんね。

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