「さみしい夜にはペンを持て」を読んだ話

読書感想文⑧です。

読みたいと思ってメルカリやブックオフを探したけどタイミング良く見つからなかったため新品を購入しました。出たばかりの本だし読んでつまらなければ売ればいいや。きれいに読めばメルカリなら高値をつけても売れそうと考えていました。

序盤は遠い記憶の底に封じ込めている思い出をつるはしで刺されるような気持ちで読みました。学生時代に陰の気をまとい教室の片隅で過ごしていた人間には辛い描写が多いです。平成から令和になっても学校という場所特有の閉塞感は変わらないのですね。最初の方は読むのが途中でも売っちまおうかなとすら考えていましたが、読みすすめて良かったです。

以下ネタバレ注意

学校でいじめられているタコジローは嫌がらせで体育祭の選手宣誓を押し付けられます。どうしても学校前でバスを降りられずに公園まで行ってしまいます。そこで会ったヤドカリのおじさんに話を聞いてもらうと気持ちが少しだけ楽になります。おじさんに勧められて日記を書き始めるタコジロー。頭の中だけで考え続けるより日記という形で紙に書くと何も解決していなくても、頭の中のモヤモヤが晴れるのです。他にも「思う」と「考える」の違いや、誰にも読ませない秘密の日記にだって読者はいるということ、日記に愚痴や人の悪口を溢れさせないためにはどうすれば良いかなど、43歳の私が読んでも「勉強になるな」と思える内容がたくさん書かれています。感情移入しやすいように物語にのせて説明されるので頭にもすんなり入ってきます。

ヤドカリのおじさんの存在がいいのです。子どもって親にだけは心配させたくないと気をつかってしまうじゃないですか。気をつかって大切なことは打ち明けられないのに、甘えがあるから当たり散らして親子の関係がこじれてしまうんですよね。アル中の両親を持つ私だって、心配かけまいと頑張ってましたよ。私が帰宅した時点で飲んでしまっている母親には言葉が通じなかったので、話さなかったのもありますけどね。学生時代の私にヤドカリのおじさんがいてくれたら、私も逃げてばかりいないで自分と向き合って、今よりまともな人間になれていたのかもしれませんね。今のうちの子にも、ヤドカリのおじさんのように口を挟まずに話を聞いてくれて教え導いてくれる人がいたら、精神的に安定するんじゃないでしょうか。だけどそういう役目って親子だと近すぎて難しいと思うのです。親は心配のあまり口を挟んでしまったり口出ししすぎてしまったり。子どもは子どもで親に言われると反発して素直に聞けないし。これはうちだけなのかな?日頃からバカにしている母親の私が言ったことなんて聞きません。屁理屈しか返ってきません。聞く耳を持たない人間に何を言っても時間と労力の無駄です。でもヤドカリのおじさんみたいに都合の良い距離感の他人なんて存在しませんよね。現に本の中のおじさんだって不審者扱いされていたのです。現実でいたらやはり私も通報すると思います。

世知辛い世の中なのですから仕方のないことです。話を聞くためとはいえ子どもを自宅に招いたらアウトですもの。そこでこの本ですよ。本の中にはヤドカリのおじさんがいます。話は聞いてもらえなくても日記に書けばいいのです。タコジローは10日くらいしか一緒にいられなかったけど本は何回でも読み直せます。それが本のいいところですよね。私も日記を書こうかな。でも続ける自信ないなと迷っています。

ヤドカリのおじさんの事しか書いてないけど、最後のページの友達からの一言が、一番心がキューってなりました。私にはそんな友達もいなかったなと。読み終わったけど好きな時に何度でも読み返せるように我が家の本棚に永住してもらいます。子どもも読んでくれたらいいのにな。私に絡んでくるより絶対大きな学びが得られると思うのに。

海の中の世界の絵が素晴らしいです。

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